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「俺は生者からも死者からも逃げて生きている ……」

「V8(ヴィエイト)! V8! V8! V8!」

雨の街を歩いた。
ぎりぎり傘の必要なくらいの、弱い雨だった。気持ち喉が痛く、気持ち膝のだるさを感じる。恐らく風邪の極く初期症状であろう。ただちに歩行法をエコノミーモード、精神を疑似無気力状態に切り替え、体に掛かる負担を最小限に留めようと自動的に対処する自分を、我ながらさすがだなと思った。

この方法で幾度も騙し騙し風邪の悪化から逃れており、こういうことこそほんとうの体調管理だと思うが、悲しいかな、それを評価してくれる者は誰もいない

<H27.7.1>
01-07-2015 016-40-36 AM
「restrant YAMAGATA」

エントランスから階段を回り込むような恰好で上ってきた。
見える範囲で全てだとすると、このビルディングの規模からして、些か小じんまりとし過ぎなような気がするフロア。BGMはボサノヴァ。ホール係のお姉さんは私より年上の、まさしく銀座の凛としたお姉さんそのもの。
ピアノフォルテとウッドベースの、優しくて、ちょっぴりスリリングな拮抗の中、サーヴィス料なんかとられないだろうなと半信半疑で注文した。

“日替わり”だったか、オムライスとのセットがエントランスのショーケースの中で尋常じゃなく映えていたが、残念ながらケチャップライスの中の“鶏肉”NGの私である

―― たまにそれがハムなのがあってひどく魅力的に映るんだけど、どうしてもそれを注文前に確認してみる勇気がないのよ ……

01-07-2015 013-14-08 AM
“メンチカツ” @1,000也。

まず最初に供されたポテトサラダの上にのせられた鴨のロースト(かは知らないんだけど)のささやかな一切れが、この地が紛うことなき銀座なのだということを謙虚に、そして健気に主張していた。白くささやかな皿。おっさんがやるには少々デリケート過ぎるのではないか、そんな気がして少し気恥ずかしさを覚えたが、果たしてやってきたメインの皿は、前述の諸々の印象を良い意味で裏切るような、あくまでも場所柄や店構えから受けた第一印象からに対しての話だが、一定の力強さを纏っていた。

それはアンドロメダの拡散波動砲のように二連装されていた。
付け合わせのもやし炒めは、芳醇なグルタミン酸ナトリウムの香りに彩られており(良い意味で)、これでケチャップスパゲッティをディチェコの№12でボリウム良くやってくれたら、飛躍的に満足度が高まったであろう。
何もかもが手作り感に溢れた料理。図らずも“洋食屋のメンチ”を連続させてしまったが、限りなく誠実なお昼ご飯をゆったりと堪能させていただいた


【 以下映画の話 】

シャーリーズ・セロンっつ~のは言わずと知れた超美人女優なんだけど、今回も坊主頭で片手が無くって、この人は美人なのにいっつもこんな役をやっていて、しかし且つ、恰好良い。なんなんだ、この異様な恰好良さは !
体当たり演技で坊主になって“恰好悪い”、または“痛い”女優はいるが、坊主頭で尚恰好良いという女優というのが、もしかしたら彼女しかいなかったのかも知れない。片腕で恰好良いというのは、その昔ライダーマンがいたが。

―― いや、嘘だ。俺ライダーマン、弱くて嫌いだったもん、子供の頃 ……

「心が壊れたら、残るのはMADだけだ ……」

心の壊れた男が主人公の映画を、心の壊れた男が観にきた。
最初、いろんなところでこの「マッドマックス」最新作の予告編を目にしたが、実のところあんまり興味はなかった。主演がメル・ギブソンでないという寂しさもあったし、一連の作品とは全く異なったスタッフ達に依るリメイクだろうと思っていたからだ。ふつうに考えたら、そうとしか思えないはずである。

ところが ……

01-07-2015 016-44-30 AM
ところがこれ、まさか正真正銘七十歳に達した“ジョージ・ミラー”がメガホンをとり、CGも極力排除した生のスタントでみせているという事前情報に触れ、居ても立ってもいられなくなってしまった。ということはジョージ・ミラーはまたスタントマンを“二人殺す”覚悟で、この作品の製作にあたったのであろうか。
よく“命と引き換え”という言葉を使うが、命と引き換えにことを成すということは、現実にはそんなにない。最初の「マッドマックス」が低予算映画ながら世界を席巻したということは、紛れもなく、それが“命と引き換え”に撮影された映画だからであろう。

では今夜も熱く語らせていただきます !!

※ 例によって、未観の方への配慮はまったくありません

監督 : ジョージ・ミラー
出演 : トム・ハーディ シャーリーズ・セロン
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「マッドマックス 怒りのデス・ロード」

居酒屋で呑んでいると、よく質(たち)の悪い爺が、これは女の子男の子に拘わらずに、その“若さ”に絡んでゆく姿をまま見受ける。絡んでゆくというか、友好的にちょっかいを出してゆくだけなのだが、若い子たちからしたら、それは常に、けっこうに“迷惑”なことなのだ。
でも日本人は皆優しい。優しいから、爺に調子を合わせてしまう。調子を合わせてしまうんだけど、やはり何か“重く”なってしまい、或る一定の限界を超えると、その子たちは残念だけど、もう店に来なくなってしまうのだ。

それは“エナジー”という物質が熱と同じように、高いほうから低いほうへと伝導する性質を持っているということに、完全に依存する話である。
爺はもう自らのエナジーが枯渇しかけているので、それを無尽蔵に溢れさせる若者にその“チャージ”を乞うのだが、爺に精気を吸いとられる若者からしたらそんなの何のメリットも無い、本来羽を伸ばしにやってきたはずの居酒屋での代金を支払っての老人介護という、そんなとんでもない話となってしまうのである。

しかし齢七十のジョージ・ミラーの放つこの莫大なエナジーとは、いったいこれは何であろうか。
やはり人間は年齢じゃないと、心底そう思う。無限のエナジーを迸(ほとばし)らせるからこそ、他人に何かを与えられる。たった一人の爺の情熱が、全世界の観客にパワーを与えるのだ。
音楽でも映画でも何でも、“創造者”とは常にそんな存在で“在り”なければならないということか

01-07-2015 016-45-46 AM
砂漠の中に起立する荘厳な断層峪(キャニオン)。
支配者が融解しつつある自らの肉体を、半透明のポリカーボネイトの筐体でカヴァしつつ、涸れた谷底に集う群衆の頭上に立った。
水も石油もとうに枯渇した世界。それを手にする者だけが権力を持ち、そして、それを暴力で奪うことが許された世界。暴力だけがものを言う世界。
支配者イモータン(不死身の)・ジョーが群衆を見下ろし、これから大隊長のフュリオサ(シャーリーズ・セロン)が超ド級のトレーラーで出陣、大量のガソリンを持ち帰る為の旅に出ると告げる。その門出の祝いとして、イモータン・ジョーは群衆に貴重な水を峪から滝のように降らせる。

「イモータン・ジョー !! イモータン・ジョー !!」

群衆は狂ったように水を求めた。イモータン・ジョーを称える合唱がピークに達した。彼は神として崇められていた。たとえそれを裏付けるものが絶対的な“暴力”によるものだったとしても ……

しかし美しき隻腕の女戦士フュリオサにはこの旅に乗じて成し遂げようとする、或る企みがあった。
自らの駆るド級トレーラー、六輪駆動、V型8気筒エンジンを二連装することによって2,000馬力を得た“ウォータンク”の体内に隠したワイブス(イモータン・ジョーの子を孕んで出産する為だけに囲われた、容姿端麗にして妊娠可能な女性たち)たちをこの呪われた要塞から逃がすという、死と隣合わせの裏切り行為の敢行という ……

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「輸血袋を連れていく !!」

女戦士フュリオサの裏切りがバレた。
イモータン・ジョーの子飼い、一時期の日本のハード・コア・パンク・バンドを連想させる全身を白く塗りたくった戦士たち、“ウォーボーイズ”たちが(ウォーターボーイズではない)、全力でフュリオサのウォータンクを追跡しはじめる。ウォーボーイズの一人、ドライヴィング・テクニックとメカに長けてはいるが、もうラリって余命幾ばくもないニュークスも、瀕死の体を引きずって崇拝するイモータン・ジョーの為に“輸血袋”を引きずりながら、反逆の女戦士フュリオサを追う一団に加わる。

因みにこの“輸血袋”ってのが、なにを隠そうインターセプターとともにこのアウトロー集団に捕まった“メル・ギブソンじゃない”マックスなんだけど。

高速で砂漠を突っ走るクルマに立てられた“竿”に括られたマックス。“輸血袋”なので高い位置に掲げられていなければならないが、そんな状態で繰り広げられるカーチェイスなんか、たまったものではない。

「“輸血袋”を後ろに !!」

―― だから大切な輸血袋を、何故もっとも危険な真ん前に吊しているんだお前は ……

砂漠に色鮮やかな花火が上がる。“輸血袋”は大切に扱わねばならない。砂漠にブラックマークは付かない。ただ舞い上がる砂塵。連発される花火。それは“人間花火”といっていいだろう。壮大なサーカスを見ているようだった。酒池肉林のカーニヴァル、その追う者追われる者すべてを飲み込む、突如発生した、善意も悪意もない圧倒的な規模の砂の津波。なんなんだこの映像は ! この状況の中でまさか、まさか更にスロットルペダルを踏み込んでいける者だけが生き残れるというのか ……

ビビってスロットルを戻せば死ぬ。生き残るには突っ走るだけ。
それがMAD !!

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“クルマの窓から手や顔を出さないで ~~”

走行中のクルマの窓から手や足や顔を出してみたいという夢を、その昔暴走族たちは“箱乗り”というかたちで実現したが、この映画は言うまでもなく、箱乗りどころの騒ぎではない。“やってはいけないこと”をはるかに通り超えたことすべてを痛快にやっちゃってる。

子供の頃浚われてきて、生きてゆく為にイモータン・ジョーに忠誠を誓って勝ち得た信頼をすべて捨て去って、ワイブスたちに未来、人生を与えようと孤軍奮闘するフュリオサの無口なる信念。絶体絶命の“輸血袋”からの脱出を模索し、辛くもフェイスマスクを外して輸血チューブの針を腕から引き抜くことに成功したマックスの、その目的無きサヴァイバルへのひたすらな執着。イモータン・ジョーの戦士でありながらも、美しきワイブスの一人から与えられた“信頼されることの喜び”に、微かな人間性の芽生え始めるニュークスの開眼。

「このクルマ(ウォータンク)があればきっとたどり着ける ……」

圧倒的なパワーを持つマシンは、常に絶望している者に希望を与える。
生きる目的の異なる(そこには生きる目的を失った者(マックス)と、また死そのものを目的としていたが、しかし何度も死に損なった者(ニュークス)を含むが)彼らは、2,000馬力の“神”を疾駆させ続ける為、即ち“生き続ける”為に、やがて奇妙な連携を見せはじめるのだ。
ここで言う“生きる”とは、心臓が動いていて呼吸しているという、ただ生命活動が維持されているだけの状態を意味しない。不確定な未来に立ち向かう思考や手法を、自らの手で獲得していく勇気を持ってその一歩を踏み出す覚悟そのものを、私はここで“生きる”と言っている

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「希望は持たぬことだ ……」

本作においてもマックスは劇中、特に主体性を発揮することはないが唯一、目指した“緑の聖地”、自分が生まれたという土地にたどり着き、そこもまた砂漠と化していたという現実を突きつけられ、トレーラーより遙かに燃費の良いバイク数台に分散し、燃料と物資を積めるだけ積んで未知なる土地を目指して塩の大地を突っ切ろうと切り出したフュリオサに、水も緑もあるのは向こうだと、イモータン・ジョーの砦の峪に戻ろうと助言する。
大隊帳であるフュリオサを切り札として巧く群集をまるめ込めれば、その砦が乗っ取れる可能性もなくはないと、ウォータンクは再び来た道を戻り始める。待ち受けるは最強の敵、イモータン・ジョーとその部下たち。

最後のカーニヴァルが幕をあげた。
六輪で砂を蹴る2,000馬力。追い縋る敵また敵。先手をとられるものかとボンネットにしがみつき、直接ニトロを口に含んで正面を向いたスーパーチャージャーのファンネルに全力で吹き込む男たち。

―― これじゃ過酸素んなっちゃうよ、この人たち。そしてこれが内燃機関における燃調の“霧化”、ということのか !?

噎(む)せるニュークス ! パワーダウンするウォータンク ! 迫る追っ手 ! 堪らずにマックスが手を差し伸べた。

「俺が代わる !」

キチガイの、キチガイによる、キチガイの為の映画もいよいよ佳境。
深く涸れた一本道の渓谷に差し掛かる一行。後ろを振り返れば、まさか意志を殺され、“抜け殻”の戦士として育て上げられたはずのニュークスが、生まれて初めて自ら強烈な意志を放ち、マックスたちを逃がす為、ウォータンクのステアリングをあらぬ方向に切っていた !!
自分が捨て身で防波堤になろうと

「俺をみろ~ !!!!!!!!!」

01-07-2015 017-00-26 AM
人間は誰でも、他人から認められたい。それが愛する人からであれば殊更に ……
自分を見ていてほしい。自分の存在を認知してほしい。自分を愛してほしい。それが得られなければ、うさぎみたく“さみしさ死”してしまうほどに ……

人力式の昇降機が、元はイモータン・ジョー所有であった二段重ね(だから何なんだよ、このクルマ)のキャデラックを峪の頂上までゆっくりと引き揚げてゆく。フュリオサは集団から認められたのだ。
ふと見下ろすと、普通の人間の誰もが求めてやまないその“他者からの承認”、ということを頑なに拒み続ける男が、群集をかき分けて独り静かに立ち去ろうとしていた。
男が振り返ってフュリオサを見上げる。途轍もない宿命を背負った者同士の視線が、ほんの一瞬クロスした。

いや違う、マックスは他者からの承認を求めていなくなんかなかった。
さっきフュリオサが致命傷を負ったとき、自らの血を与えながら意識薄れゆくフュリオサをこう励ましてたっけ。
最初に聞かれたときには黙っていたけど、そんなときになって初めて ……

「My name is Max. That's my name !!」

Fine